登別伊達時代村 江戸の街並み

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江戸の街並み
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立派な大手門を通り抜けると、そこは商人の町。経済が発達した江戸時代には、商人たちがたくさんの富をたくわえ、中には大名にお金を貸すほどの豪商(ごうしょう)もいました。町の入口と出口には、自身番小屋や木戸番小屋があり、町の治安を守っています。

大都市・江戸には大店(おおだな)から行商人まで、さまざまな商人があふれていました。この中で特に商売上手で、武士にお金を貸すほどのお金持ちとなったのが豪商です。普通の商店の間口が約2.7〜6.0mだったのに対し、大店の下村大丸は表間口が約65mもあり、江戸見物に来た旅人をびっくりさせました。また材木商として成功した豪商・紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)は、節分の夜に大広間にたくさんの人を集め、豆のかわりに小判や金銀をまき散らすなど、ケタはずれの遊びをしたといいます。

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雪がたくさん降る地方では、家の軒(のき)からひさしを長く張り出して、その下を通路にしました。そのひさしの連続したものを“雁木(がんき)”といいます。雁木造りは商家にもみられ、店名などを染め抜いたのれんを掛けて壁がわりにしました。つまり、現代のアーケードというわけです。

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木造の建物が密集している下町のなやみのタネは火事。そこで火の用心のため、町のあちらこちらに水溜桶(みずためおけ)を置き、見張りのための火の見櫓(やぐら)を建て、燃えにくい瓦(かわら)と土でできた土蔵造りの建物を増やしていきました。さらに町の消防団として「いろは四十八組」の町火消がつくられ、威勢(いせい)のよさと伊達(だて)男ぶりが江戸名物となりました。

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江戸の町では「火事とけんかは江戸の華」といわれるほど火事がひんぱんに起こりました。そこで組織されたのが町火消です。中でもい組、ろ組、は組と名づけられた「いろは四十八組」が有名です。それぞれの組ごとに目印の纏(まとい)やはしごなどの道具を持って火事場へ向かったそうですが、消火よりも、周辺の家を壊して延焼を防ぐことが多かったようです。

下町の安全を守る自身番小屋は、町の負担でとなり町との境に建てられました。当番制で5人が詰め、町内で軽い犯罪をおかした者を同心(どうしん)に引き渡したり、火事の時には鐘を鳴らして町民に知らせたりする役目を果たしました。一方、木戸番小屋には町でやとった番人がいて、夜10時から朝6時まで通行できないように木戸を閉めたり、拍子木(ひょうしぎ)を打ちながら火の用心の見回りを行ったりしました。

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